ジェラートの教科書 Il manuale del gelato
17

第V部 店の運用

工房の動線

Il percorso del laboratorio

第16章では、温度を戻さないことを見た。では汚染はどうか。イタリアでは規範が工房の組み方に「前進」という名前を与えている。日本の法令に、その言葉はない——だが同じ思想が、二つの別の言葉で書かれている。

第16章で見た原則は、温度についてのものだった。下げるときは速く、上げるときはゆっくり、そして戻さない。

では、汚染はどうか。じつは、まったく同じ形の原則がある。そしてこちらのほうが、工房の作り方そのものを規定する。

なお本章が扱うのは、工房をどう組み、どの順で作業するかである。汚染された原料からは清潔な製品を作れないこと、HACCPの考え方、そして記録の役割は、第12章「品質管理と衛生」が扱っている。第12章が「何を守るか」なら、本章は「どう組むか」にあたる。

イタリアには「前進」という名前がある

イタリアの文献は、工房のレイアウトをこう説く。機械は、生産の順に並べよ。

そして作業の順序については、文献は自分の主張としてではなく——現行の衛生規範がそう勧めているとして——「前進」(marcia in avanti)を紹介する。浄化すべきものの作業を先に、浄化済みのものの作業を後に。この順序を守れば、交差汚染は避けられる。

ここで「浄化」と書いたのは、原文がそう書いているからである。殺菌はその一例にすぎない。洗う前の果実も、まだ洗っていない器具も、同じ「浄化すべきもの」の側にいる。だから前進の原則は、殺菌工程を持たない仕事にも及ぶ。

戒めの例も挙がっている。同じ器具を、殺菌前の製品と殺菌後の製品に「同時に」使うな。 禁じられているのは同時使用である——洗浄と消毒を挟んだ交替使用まで禁じているわけではない。ここは正確に受け取っておきたい。のちに見る日本の法令のただし書きと、イタリア側も同じ地点に立っている

温度が戻ってはいけないように、汚染も戻ってはいけない。第16章と同じ形である。

三つめの原理は、試食にある

そしてもう一つ、この文献が自分の言葉で述べている原理がある。試食の衛生である。

調合の作業、とりわけマンテカトーレに入れる直前のミックスの微調整では、何度も味をみることになる。文献はそこに二槽シンクを近く置けと述べたうえで、この作業こそもっとも基本的な衛生規則を厳格に、絶対に守って行わねばならないとする。そして、手の届くところに何を備えるかまで指定している——水、液体石鹸、ペーパータオル、試食用の使い捨てカップとスプーン

なぜここが要点なのか。試食は、口に入れたスプーンと手が、殺菌済みのミックスへ戻る瞬間である。 工房のどんな動線図にも描かれないのに、一日でもっとも頻繁に起きる「後戻り」がここにある。壁で区切っても、機械を順に並べても、この経路は塞げない。塞げるのは、使い捨てのスプーンと、すぐ横の石鹸だけである。

なお小型の器具——ジューサー、ブレンダー、フードプロセッサーなど——については、文献は「使ったら洗って、埃を避けて棚に納める」と述べている。第12章で見た「泡立て器やディッシャーは流水中に置く」とは扱いが違う。始終使うものは水を動かし、使い終えたものは乾かして納める——器具の種類で分けて考えたい。

日本の法令に、「一方通行」という言葉はない

では、日本ではどう言われているか。

「一方通行」も「ワンウェイ」も、法令には一言も出てこない。食品衛生法施行規則の全文(約177万字)を検索しても、この二語は一件もない。「交差汚染」も「汚染作業区域」も、同じく零件である。

だからといって、この思想が日本にないのではない。別の言葉で、しかも二つの側から書かれているのである。

一つめ — 施設の側

施設の基準は、こう定めている。

施設基準(参酌基準)

作業区分に応じ、間仕切り等により必要な区画がされ、
工程を踏まえて施設設備が適切に配置され、又は空気の流れを管理する設備が設置されていること

工程を踏まえて」——イタリアの「生産の順に並べよ」に対応するのが、この一句である。表現は違うが、要求していることは同じだ。

そしてアイスクリーム類製造業には、さらに具体的な基準がある。

アイスクリーム類製造業の施設基準

製品の製造をする室又は場所は、ろ過、殺菌、冷却、充塡、包装及び凍結に必要な設備を有すること

読み流しそうになるが、よく見てほしい。法令が、工程の順序をそのまま並べている。ろ過して、殺菌して、冷やして、詰めて、包んで、凍らせる。設備の列挙が、そのまま作業の順路になっているのである。

壁がなくても、よい

ここで、小さな工房にとって決定的な一句がある。先ほどの施設基準には、ただし書きが付いている。

Calcolo — 計算

ただし、作業における食品等又は従業者の経路の設定、同一区画を異なる作業で交替に使用する場合の
適切な洗浄消毒の実施等により、必要な衛生管理措置が講じられている場合はこの限りではない

つまり——壁は、絶対の要求ではない。区画を切れないほど狭い工房でも、道はある。

経路を決めるか、交替で使うたびに洗って消毒する。それで衛生管理措置が講じられているなら、間仕切りは要らない。日本の法令は、一方通行を「建築」で作ってもよいし、「運用」で作ってもよいと言っている。

これは寛容というより、現実的なのだと思う。数十平米の工房に汚染区域と清潔区域の壁を立てられる店は多くない。立てられないなら、順序と洗浄で同じ結果を作れ——条文はそう言っている。

一方通行を、何で作るか 施設で作る 間仕切りによる区画 工程を踏まえた配置 空気の流れの管理 または 運用で作る 食品と人の経路の設定 交替で使うときの 洗浄・消毒 ← 壁がなくてもよい そして、どちらの場合も — 手で作る 生の原材料・殺菌前のものを扱い終えたら、手指の洗浄と消毒 使い捨て手袋なら、作業後に交換 ← 壁があっても  省けない
Fig. 17-1 一方通行の作り方は一つではない。施設で作る(区画・配置・空気の流れ)か、運用で作る(経路の設定・交替時の洗浄消毒)か。そして手で作る。どれか一つではなく、足りない分を他で補う関係にある。

二つめ — 手の側

施設をどう組んでも、残る経路がひとつある。人の手である。

一般衛生管理の基準は、こう定める。

一般衛生管理

食品等取扱者は、用便又は生鮮の原材料若しくは加熱前の原材料を取り扱う作業を終えたときは、
十分に手指の洗浄及び消毒を行うこと。なお、使い捨て手袋を使用して生鮮の原材料又は
加熱前の原材料を取り扱う場合にあつては、作業後に手袋を交換すること

ジェラートに引き付ければ、こうなる。殺菌前のミックスや、洗う前の果実を触った手で、殺菌後の工程へ進んではならない。進むなら、手を洗い、消毒し、手袋なら替える。

イタリアの文献は「同じ器具を殺菌前と殺菌後に使うな」と言った。日本の法令は、器具ではなく人の手について、同じことを言っている。着眼点が違うだけで、塞ごうとしている穴は同一である。

そしてこちらには、ただし書きがない。壁をどれだけ立てても、手洗いは省けない。工房の一方通行は、建築だけでは作れないのである。

第12章が「卵は別区域で割り、作業後は手を消毒する」と述べたのは、この二つ——区画と手——を同時に守れ、という話にほかならない。

職人の視点

壁は一度立てれば黙って働き続けるが、手洗いは毎回やらなければ効かない。だから設備投資より難しい。忙しい仕込みの最中、果実を触った手でそのまま殺菌済みのミックスへ——この一回が、区画の壁を無意味にする。工房の動線でいちばん頻繁に通る経路は、人の手なのである。

あなたを縛るのは、県の条例である

最後に、大事な但し書きを置く。ここまで引いた施設の基準は、あなたを直接縛る規則ではない。

食品衛生法は、こう定めている——都道府県は、厚生労働省令で定める基準を参酌して条例で、公衆衛生の見地から必要な基準を定めなければならない。つまり厚生労働省令が示すのは「参酌基準」であって、実際に効くのはあなたの都道府県の条例なのである。

だから本章の条文を暗記しても、それだけでは足りない。工房を組む前に、必ず所轄の保健所に相談すること。地域によって、求められるものは違いうる。

なお、「汚染作業区域」「清潔作業区域」といった区分の言葉を聞いたことがあるかもしれない。あれは公的な資料に実在するが、一回300食以上または一日750食以上を提供する調理施設に向けたものである。ふつうのジェラテリアは、その適用範囲の外にいる。概念として学ぶ価値はあるが、自分に課された要件だと思い込む必要はない

戻らないように、組む

第16章と本章で見たことは、ひとつに縮まる。工房は、戻らないように組む。

温度は、上げたら戻さない。汚染は、殺菌前から殺菌後へ渡らせない。前者は受け渡しの順序で、後者は配置と経路と手で守る。どちらも、後戻りを許さないという一点で同じである。

そして、どちらも見えない。温度が往復したことも、手を洗わなかったことも、その場では何も起きない。数日後に、客の舌の上で分かる。第V部が扱ってきたのは、結局この「見えない失敗」をどう防ぐかという技術だった。

章末クイズ2問
  1. 「一方通行」という言葉は、日本の食品衛生の法令にあるか。

  2. 数十平米の工房で、作業区分ごとの区画の壁を立てる余地がない。施設基準を満たす道はあるか。

選ぶと、その場で答え合わせになります。外れても、消していけば道が残ります。